地域−地球型建築の設計手法
渡辺――
色んな空間の話を終えて、ここで改めてですね、パッシブとフィールドの話とか、あと「居る」「祈る」で分けてきましたけれども、地域−地球型建築の設計手法についてお話していきます。
まずは「居る」空間の方ですね。これ色々文字が書いてて、ややこしいので、見てもなんかパッとしないですから、図で伝えます。まず、「居る」ところを地域−地球型建築にしていくためにどういう思考が必要なのかってことなんですが、これには4段階あります。まずはパッシブの導入とフィールドの読解の2つが、何の関連も持たないのが1番目の段階です。単にパッシブの導入とフィールドの読解がお互い無干渉みたいなことがあって、これじゃしょうがないわけです。次に2番目で、パッシブの中に地球を感受するという話があるし、フィールドの中にも地球を感受するというのがあるので、地球側でまず両者が結合してくれます。要するにバラバラなものが地球感受の空間で一旦結合されます。ここまでパッシブにフィールドを補助的に入れるとかフィールドにパッシブを入れるって話しましたが、 3番目はこの双方が関わりを持つことで総合的な環境に、自然か文化かじゃなくて両方束ねた総合的な環境に適応する地域型建築ができるということがあります。4番目は、総合的な環境に適応する地域型建築と地球感受の空間が密接に関わりさえすれば、地域−地球型建築が成り立つと考えてます。


ここで問われるのは、これらの要素が、「どんだけ密接やねん」ってことなんですが、各プロジェクトについて地球感受の空間を青色に塗っています。 パッシブで効いているところを黄色に塗っていて、フィールドの読解で要になった部分を赤で塗ってるところを見ていただきます。これは天翔かける方舟、これはゲンダイタテアナなんですが、ほぼほぼ同じところに色が塗られているかと思います。その他もそうですね。こう見ていくと、単に関わってるとかじゃなくて、自然環境適応と文化環境適応の中核をなす空間と、地球感受の空間の三者がですね、三位一体のように合致してるようなレベルで関わりを持つと、ようやく地域−地球型建築になると捉えています。
続いて、「祈る」側はどういう風に地域−地球型建築として設計できるかということですが、 これは「祈る」空間に特化しているのが神社なので、これは「居る」と「祈る」というものが2つで1つの二元タイプの「いる」空間で成り立てばよいことになります。まず、金峯神社ですが中核部は御在所山を共に遥拝することで成り立たつ遥拝型の神社を作りました。 これを分割造替というその当時の状況に応じた地域への定位をなすことで、神社再建を果たしています。 次に産泥神社です。都市のど真ん中で、自分がどこにいるのか見えないところだったので、周囲関係なく自律できる天地型の「祈る」空間をぶち込んだという話があります。地域に定位する時にも聖なる軸が見出せないので、柳都大橋の俗なる軸を頼りに、神社っぽくしてるんですが、俗なる軸で配置をしていて、一旦ここに入ると、天と地しかないような空間になって、また出ていくと俗なる軸と出会うということで、逆に聖俗の強い対比でもって神社の空間を強めてるということを考えています。


次に「居る」空間と「祈る」空間はなんも関わらないのかっていうことがありますが、こっち側に「居る」空間を置いて、「祈る」空間を置くと。これは何を書いてるかと言うと、コンセプト、形態決定、構法って書いてるんですが、その細かいことはさておいて、相互を束ねる中軸に地球感受の空間があるということですね。「居る」の空間にもそれがあって、「祈る」空間の中核部がそれなので、それが背骨をなしています。このように「居る」と「祈る」は無縁にはならないってことを言いたいです。
あとは、地域−地球型建築のある風景ってどういうものかなんですが、例えば、よく都市の中で凡庸な風景を刺激するために異化をするとか言いますが、 何のための異化やねんって思うことが多いです。宙地の間の場合は真南を向いて、パッシブのこともあるんですが真南を向いていて、周辺の住宅群とは、なんか無縁なことになっている。ゲンダイタテアナではこの塔屋が10メートルを超えてるんですが、この塔屋が北極星を向いていて、風景の庭も同じです。 土佐山田の町家では、トンネルの向こうの庭が空に繋がっています。これらは何か異質なものがブチ込まれていて、異化ってことがあります。
これは単に表現欲求とかで刺激を与えるとかじゃなくって、地球感受の空間が見えてるだけなので、 実は地球とは同化してます。なので、風景の異化なんていうものは、 次元が違うとこに同化してるものが、日常の文脈では異化に見えてるだけの話であって、単に日常の方をちょっと刺激して、変わった建物ができて、だから異化ができたってことだと、あんま何の意味もないと思います。 違う次元のものが、ある次元にたつ時に異化になってしまうことが重要だと思っていて、 地域−地球型建築の場合は地球と同化しているものが日常では異化に見えてしまうっていうことだけだと思っています。

もう1つは海外(途上国の被災地や貧困地)の場合、大概施工の状況がオープンにされます。日本の場合は安全性の問題で囲い込まれるんだけど、 変な現場が僕の場合多いので、施工が常に見えてることが多いです。 これは非常に大事だと思っていて、作られる過程がまず地域に共有されていくと。そうなってくると、ある敷地に建築ができてくるのを見た時に、どういう位置付けで、この建築ができていくのかって、作られる過程でなんとなくわかってきます。 なので、この行為が祭礼に近い状況になります。ここに地球感受の空間が風景化されることが加わりますが、できあがる過程も見ているわけなので、できたあとのみを見るよりは、もう少し深くその風景との共感っていうものができるのかなと思っています。
