地域−地球型建築の概念
渡辺――
続きまして、地域−地球型建築の概念について示していこうという風に思います。 まず、定義なんですが、これは地域環境と地球環境の二重の環境に適応する建築という風に考えてます。そういう意味で正確に言いますと地域−地球環境適応建築っていう方が正しいんですが、それを地域−地球型建築という風にしております。ただ、これはそういうタイトル地域−地球型建築だと当たり前なんじゃないのっていうことしか書いてないわけですので、「で?」ってなるかと思います。ですので、ここからまず、なぜ二重の環境を設定する必要があるのかっていうことを見ていこうと思います。これはそもそも人間の存在というものが二重性をなすということに、根っこのあることだと考えてます。

哲学の分野ですと、上田閑照氏が二重世界内存在ということを言ってまして、人間は世界においてあるとともに、その背後にある見えないところにおいてもあるよということを言っていたり、 先ほどの瀬尾氏は環界マンダラという、この左下にあるような図を掲げて、人がいるところの総体を環界と名付けてるんですが、それは世界と無界が重なり合う場だということを言っています。あと、ノルベルグ・シュルツという人が実存的空間ということを掲げていて、右下にある図のように水平的な領域があるとともに、その中心である場所からは垂直な開けが導かれるということを言っていて、水平世界、垂直世界の二重性であるということを述べています。こういったふうに人間の存在が従前であるために二重でなきゃいけないって話がありまして、ただなんとなく、別々なものが二重であるというのではなくてですね、あくまで水平なものと垂直が二重をなすということが重要だということが示されてます。

左の図の環界マンダラにおきましては、青く塗った世界というものはこれ日常に普通に目を向けている世界で、水平なる世界です。それに対して無界というのは、日常を超えたなんとも言えない異界のような場所ということで、これは垂直な開きが導かれる場だという風に考えます。 シュルツの場合はそのままなんですが、この円盤みたいなものは水平世界を示してまして、真ん中の垂直軸は明らかに垂直な開けなので、そういった水平と垂直の二重をそのまま示してるものだという風に考えます。ということで、存在が二重であるだけにとどまらず、それは水平と垂直な開けまで二重であるということに注意すべきことかという風に考えてます。

次にですね、その水平、垂直の二重だとして、地域−地球はなんなのかということです。後でまた改めて補足しますが、 シュルツがですね、水平なる世界、円盤みたいなところには段階があって、 その中心には1番ちっちゃな規模の住居の段階があって、それを取り巻くように都市の段階があって、景観の段階がありますということを言っています。さらに、その向こうにもう一回り大きな段階があるんですが、要は、こういう風にちっちゃなものからおっきなものまで入れ子を成しているという話があって、特に、住居、都市、景観(=自然的環境という意味ですが)、それが織りなすものの全体が私たちがよく見る地域っていうものではないかという風に思ってます。この手のものは水平世界そのままのものだという風に考えます。それに対して、1番外側は地球と捉えたらどうだろうっていうことがあります。 地球に垂直なヒエラルキーが導かれるかどうかって議論があるかと思いますが、一旦、この段階では地球という1番でかい領域のところから垂直な開けが導かれる契機があるという風に捉えていただけたらと思います。

こう見ていきますと、水平と垂直の二重とか言ってますが、 地球というところが1個ポジションとして重要になってきまして、地球とやらは、水平世界の1番でかい領域であるということと空を介して何か日常を越えるようなことを体験するってことは古今からもあると思うんですが、 その向こう側に垂直な開けを導いてくれる存在でもあると風に捉えてます。 ということで、地球というものが水平と垂直という二重性を媒介してくれるもんだという風に考えております。
―
「いる」ことの二重性―「居る」と「祈る」―
渡辺――
ここで、「実存」という言葉をちょっと読み替えてですね、これをひらがなの「いる」とした時に、「いる」ということは「実存」だとします。そこには、水平成分と垂直成分があるわけなので、それを「いる」に対応して規定していきますと、 1つは漢字の「居る」、「居室」の「居」ですね。「居る」ということで、これは、水平世界で安らいでいることという風に捉えてます。もう1つは「祈る」という行為ですが、これは垂直な開けを得ようとすることという風に考えています。そうなった時に2つに分けたものから、改めてひらがなの「いる」というのを見た時に、どういうことが言えるかと言いますと、 1つはですね、この水平に漢字の「居る」というとこに「祈る」という行為が重なって、完全一者になっているということがあるかと思います。もう1つはですね、「いる」というものが、いわゆる漢字の「居る」という場所と「祈る」場所というのが用意されていて、 集落みたいなもんですね。それが2つで1つになって、分かれてるんだけれども、それが相補って、2つで1つの場を成すタイプがあるかという風に思ってます。

これはちょっと観念的なことを言ってるので、もう少し建築に寄せていきます。「いる」空間ってどういうことかというと、下にある図はプエブロ・インディアンの住居と集落を示したものです。左下のピットハウスは「いる」空間と考えられます。竪穴のワンルームなんですけれども、これは水平の漢字の「居る」に「祈る」が重なってるものだという風に捉えれるかと思います。後でちょっとなぜかということは示します。もう1つの「いる」場であるものは、下のプエブロ・ボニートという集落なんですが、これは「居る」というものは下の四角い 区分けは住居です。それに対して、まるっちいものが、これは「祈る」に特化した空間で、分かれてるんだけど、それが2つあることで、1つの集落をなしてるということで、こういったものが「いる」場ではないかという風に考えてます。

「祈る」方のところがピットハウスでどうなってるのかと言いますと、これは竪穴の土間のとこに穴が開いていて、先祖の霊と会話をする穴らしいです。その真上にですね、 煙抜きの天窓が開いていて、ここが祈りの空間になってるんですが、大地と天の繋がりということを作っています。プエブロ・ボニートのこの丸いところはキーヴァというんですが、これはピットハウス、この丸いところだけを取り出したような機能で祈ることしかできないところなんです。やはり竪穴空間で、下が大地で上は天に抜けているということです。基本的に地域−地球型建築において祈るということが空間化するときはどうなるのかというと、 大地というものと天あるいは空というものが繋がっているということを感知して、それによって垂直な開けを得ることだという風に捉えています。
ここで改めますと、地域−地球型建築における「祈る」というのは、大地と天(空) との繋がりを感知することで、大地と天が繋がる場所とはこれはまさに我々が住んでいる地球の感受に他ならないんじゃないかという風に捉えています。ここで改めて仮説的に言いますと、地域−地球型建築はそもそも何なのかっていうことですが、これは実存ができる、要は「いる」空間だという風に捉えています。そのあり方は先ほど言ったように2つあります。地域−地球型建築の1つ目のあり方は、一元とは分けられない次元のいる空間で、 漢字の「居る」に「祈る」という、これが地球感受の空間だとすると、それはもう重なって一者になっている空間のことです。もう1つは分業系のもので、二元のいる空間だという風に考えてまして、 要は「居る」場所と「祈る」場所はそれぞれ特化されたものがあるんですが、バラバラではなくて、それが相補って並列することで、2つで1つをなす集落みたいなものだという風に考えています。 大きくはこの2つのパターンがあるという風に捉えてます。

ここまで、地域−地球型建築の概念とそれがどういう風に必要だとかということを話してきました。 続きまして、サブタイトルにあるものがこの話とどうくっつくのかってことですね。パッシブシステムの導入とフィールド読解に基づいて、それを通して地域−地球型建築作りますよって言ってるんですが、 どう関係するんだってことについて改めてお話をしようと思います。