質疑応答
参加者――
設計を生業にして自分で事務所やってます、大庭と申します。

今日お話の中で地球を感受するっていうのがキーワードだったと思うんですけども、地球を感受するって建築がなくてもできるんじゃないかなというのがあるんですけど、建築があるからこそできる感受の仕方、根源的に感受するってのは最初に話がありましたけど、 それを伺いたいのと、それを思いながら聞いたら、終盤の方に、ビニールハウスに作る建築は最小限でもいいんではないかっていうのは、建築が小さくてもいい、その建築そのものの存在の意義、何ができるかっていう話となんか繋がって、聞いていて、今、最後のやり取り聞いていると、建築が欲されているっていう言葉もあって、建築だからこそできる感受。これがまず最初の僕の質問なんですけど、色々喋っちゃいましたけど、ちょっと伺いたいなと思います。

渡辺――
ありがとうございます。

建築物みたいなことと建築という枠組みを通してものをみるというのと違うんじゃないかと思っていまして。だから 建築物を介さなくても地球を感じることはあるかもしれませんが、日常においてそれを感じれるってことは、そういう思考と見方をしない限り多分無理だと思います。日常にまみれている時に地球を感受するのは多分ほぼ無理なので。で、今言っている建築というのはそういう日常の中で、どこにいるかもわからないとか、山が見えてればいいとかじゃないので、 それの中でその見方みたいなことの枠組みを定めるというのが建築だと思ってますので。なので、できた物の大小とかではなく、 普段の日常の中で見た時にそれが感じ得ない時に対して、どういう見方を施すようなことをするのかっていう、それは 0だとやっぱ無理なので、そういった見方の枠組みを定めることが建築で、当然、それが物になる時ももちろんあるんですけれども、当然、建築は物はないとダメなんですが、枠組みを定めて物を置くということなんで、それがだから建築を介して地球を感受するという風な言い方をしてることです。

参加者――
わかりました。ありがとうございます。

𩵋谷――
他、次、誰か。

参加者――
お話ありがとうございます。ハヤシと申します。京都で設計しています。

まず僕なんですけど、学生の頃にそういえば宙地の間っていうのをインターネットで学生の課題を僕がやっていた時にたまたま見つけたことがありまして。お名前存じなかったんですけれども、すごく印象に残ってる作品の1つだったので、こうやってお話をお伺いできて本当に良かったです。ありがとうございます。宙地の間にも関わる地球感受の空間というところで質問があるんですけれど、 シュルツの話から住居、都市、景観で、宇宙論っていうのは古代にあって、現代にはそれが地理になっているというところで、そのシュルツの論の中で思ったのは、 その時代によって人がタッチできる領域っていうのは徐々に広がったりすることがあると思うんですけれど、 それで、その宇宙論っていう、その宇宙ってものの人の届かない場所ってのは時代によって変わっていくと思います。

その時に、例えば日時計であるとかパッシブ手法みたいなことっていうのは、どちらかというと自然を科学して、 おそらく計算通りにこういう挙動をするだろうっていうことの中で扱っていくっていう態度だと思うんですけれど、 そのこととその地球感受とか、それが宇宙と繋がるっていうことの関係性にちょっと差があるのかなと思いまして。例えば、宙地の間の中で、自然とか空とかがやはり今の時代でもアンタッチャブルなものであるっていう風な感覚っていうのも持てる間であるのか。あるいは、そういったものはなくても、地球の運行ってものが、ある程度計算通りに運行してること自体が宇宙とか地球を感受する間であるという考え方なのかという質問なんですけれど。

渡辺――
ありがとうございます。まず、答えられるかちょっとわからないですけれども、シュルツの宇宙論というのは、当然現在以外のところも同じ宇宙論では全くないですので、 古代の時の宇宙論からそれぞれその認識が変わっているっていうのは事実ですね。あの本のまずいところは、地理的段階に関しては認識だけなので、要は、例えばここが太平洋だとか、認識としての1番おっきな枠組みに地理的なものがあると言ってるだけなので、 それは宇宙論の認識の変化じゃなくて、宇宙論的なものが何もない、ただ地理の認識のことしか言ってないですから。けれども、あの場合は質が完全に違っているという話はしてない。垂直的なものが発生しないのに、それを言っていないことが、まず1つです。

宙地の間のパッシブだとか、赤道型日時計というのが地球感受そのものと言っていますと、おっしゃる通り環境もあるところ制御して、 温熱環境を得るだとか、赤道型日時計そのものが天体観測装置なので、決まった機構で時を刻むのは見るんですけど、 結局それをそういうものとして見てたら特に何も生まれないのかなと思っていて。要は家の中にそれがあって、あれで時間を見たことはないです。あれ自邸なんですけど。当たり前じゃないですか、そんなの。光が巡ってきて、季節が変わると光線が夏よりちょっと上にあるだとか、そんな話が重要で、それを成立させるためにはどうでもいい他の諸室みたいなものはやっぱりなきゃダメで。なんとなく居間とかで妻と一緒に喋っているみたいなところが普通にあって、しかも日時計もあるんですけど、妻とかももう見ないっすよ。で、それで、それがダメなんじゃなくて、それが重要で、ああいうものがある時に、ふと見上げて、時折「今こんな時間か」みたいなことを思うことがあるみたいな、日常がベースなのも当たり前なんですけれども、 時折そういったことの意識はちょっと変化する時に、そういうものがある。

いや、だから、あの言い方は私がダメだったと思うのが、宙地の間の地球感受の空間。あの言い方では北側だけに特化されていて、 土間があって上に日時計が浮かんでるとこが地球感受の空間って言いました。基本はカタを定めても、そこで過ごされる日常っていうのはそんなことと関係なく過ごされていきます。しかし、先ほどもちょっと言ってたように、 明確な意識でもってカタは定めている。多分、神社とかもそうで、それがそういう形を伴っていて、それがなんか神秘的なものと繋がっている。神秘というのは、今から見るとよくわからない根拠を持ってる、明確な意識でもってそれは定めてるはずです。それが、現在においての宇宙的なもの取り入れる1つの例としては日時計とかを挙げてますけど、あれが絶対だとは誰も思ってない事実です。 ただ、なんかこれ答えになってない。

1番嫌だったのが、気のきいたトップライトつけて宇宙っぽいよねっていうのだけやりたくなかったので。それは誰だってするじゃないですか、こう見上げて、「おーっ」てなって。それはちょっとまずいと思ったので、理科レベルでいいから、要は科学の目を通してできる機構があるんだけど、ただしそれは日常の中でそればっかり見ないです。それがある瞬間に、けど、あれ、今こんなに日が経っているとか、上に開いて季節がこう変わったんだなって思う時が時折あるということぐらいを期待しているということがあって。ここでの説明では、「地球感受がこれです」ってどんどん言っていくので、「そこで、こうしなきゃいけないんだ」みたいな感覚をもってしまうと思います。実際にはそういうことではないと感じているんですよ。ちょっと、答えになってないですかね。

参加者――
いえ、ありがとうございます。日時計があることによって、確実に普通のトップライトではない経験になることは、そうだと思います。 その中で、日常生活していくっていうことがどういう経験になるのかなっていうことが、 ぜひ経験してみたいなという思いです。

渡辺――
どうもありがとうございます。



𩵋谷――
住宅とかじゃなくて、地球環境装置としての日時計があって、そこに人が寄生して住んでるみたいなところが、もう住宅じゃなくて、なんか面白いなと思ったんですけど、その日時計の周りに住むっていうことともう1つは中に住むってこともあり得たと思うんですね。その2つが出た時に、前者の方をあえて選んだのか、それとも両方あり得るのか。

渡辺――
もう周りにというのを決めてました。なので、 日時計の中に住むというのはちょっと考えてなかった、内部の空間ありきなんで、もちろんこういうことができるかと思ったんですけど、あの場合は無用にでっかいそれが浮いていて、 そのせいで狭間に色々空間できてくるので、だから日時計が作ってしまう逆さボールトみたいなものとその周辺になんか濃度が違う空間、当然なんでもできるから、それを見つけて、そこから初めて能動的に自分はここがいいとか言って住んでいくみたいなことを選んだので、日時計という中に住むっていうのは基本的に除外してました。