柳室|

で、大学で設計を進めていたんですけども、設計をしながら迷いみたいなものがあって。ある人は、例えば有名な哲学者を取り上げてその人をテーマに設計してみたりとか、ある人は圧倒的な造形力で形を作ってみたり。自分はどちらもできなくて、どうしても作る根拠を探していたということがあります。

研究室配属の時にちょっと変わった研究室があるということで、それが布野研究室でした。設計をする前に敷地周辺のフィールドワークをして、敷地周辺で起きてること、まずはくまなく調べてみるということをして、その後に、何が必要かっていうことを議論した上で、「もしかしたら建てないっていう選択肢もあるかもしれない」というような。

建てないというのは設計演習としてはあり得ないんですけど、いわゆる建築じゃない 仕掛けみたいなものを作るということも許容してくれるような、そういう課題をやってる研究室でした。アジアを中心とした集落とか都市の研究をしている研究室で、そこに所属して色々と勉強させてもらいました。

大学院の時には「建築情報システム学」ということをやっている研究室に行きました。そこでは、建築に登場するあらゆるものを数値的に扱って、建築計画も環境、構造も全て数学に1回置き換えて、最適な解というものを計算しながら導いていくということをします。この時も設計をする上で「何か根拠みたいなものが欲しいな」ということで、自分の中で答えを見つけるために色々学んでいたという時期です。

大学院2年になる時に、周りでは就職活動を始めてる時期なんですが、自分はまだこのまま意匠設計をするかっていうのを迷っていて。一度、今いる場所とは違う場所で 勉強してみようということで海外に行きました。スイスに1年半ほど留学してたんですけど、その時にとある構造家の人に出会いました。

パトリック・ガトマン(Patrick Gartman)という構造家の方なんですけど、建築家であるヴァレリオ・オルジアティの設計演習の構造のアドバイザーをやっていていました。先生が来た時に学生が30人ぐらいアドバイスを求めて並ぶんですが、ふわっとしたアイデアを具体的に、構造の断面とかアイデアを具体化しながら捌いていってる様子を見ました。

建築設計をする時に構造が大事だってことはわかっていたんですけど、大事な形を決める部分で登場するってことを初めて知ることになりました。あとは、建築家が構造家に対して向けている視線というか、パートナー的な扱いもすごく印象的でした。信頼感があって、2人で1つみたいな、そういう雰囲気がありました。日本にいた時はそういうことを感じることがなかったので、その時はまだ構造に進むって決めていなかったんですが印象に残りました。

その後、日本に帰ってくる時に、設計を続けるかどうかということで就職活動を開始したんですが、これだけ迷っているんだからこのまま意匠設計をやるのではないと思っていて。建築家になる人は迷いもしないんだろうなという風に思ったんです。森田さんは、迷いましたか?

(森田の方を向く)

森田|

迷わなかったですねー(笑)。

柳室|

多分、そうなんですよね。だから、もう全然違う分野に行くっていう選択肢もあったんでしょうけど、でもすごく建築が好きだったということはあって。自分が生きる場所が他にあるのではと考えて、ふわっと、「あ、構造をやってみよう」と飛び込んだという感じになります。

正直、構造は全然得意でもなかったですし、あまり興味もなかったのですが。好きなことは放っておいてもできるので、自分の中でよくわからないところをはっきりさせたいというところもあって、無謀ながら飛び込んだという感じです。

その当時、知っている日本の構造家というと佐々木睦朗さんしかいなかったんです。研究室の大﨑先生は構造の先生なんですけども、日本に帰ってきてから、佐々木睦朗さんの名前を出して「自分は構造をやりたいんだ」ということを伝えたら、大﨑先生の教え子で、ちょうど佐々木さんの事務所を卒業されて独立した人がいるよっていうことで、満田衛資さんを紹介していただきました。

細かいことは省略しますけど、あれよあれよと働くことになり、8年間、満田さんのところで構造を学ぶことになりました。この写真は当時に担当させていただいた物件です。本当に何もわからない状態で飛び込んだので、できるようになるまでは時間がかかった方だと思うんですけど、熱意と好奇心で乗り切ったというか。学んでいくことは好きなので、全てが新しいことで、吸収してるということを感じながら。

構造は、計算をして色々導いていくんですけど、それ以前の、「なんでそういうジャッジをしたのか」みたいなことが、結構、人によって差が出るということを働いてる時に学びました。なので、構造家になるためには、自分の個性を持っていなきゃいけないし、逆に自分で決めていくことができれば、建築家と呼ばれる人たちと対等に仕事ができる分野であることを学ばせてもらいました。