結び

甲斐|

「それのそれらしさ」っていうのは、あるものがあるものであることについて、 思考し続けていたいというのがあって。それは単純にこの材料、木の木らしさみたいな話だけではなくて、 森田さんの森田さん性とか、自分の自分性とか。だから森田さんを、森田さんにくっついているレッテルで見ずに、森田さんそのものを見る、みたいなことなんですけど。っていうことを制作ないしは、人生において、そういうスタンスで生きていきたいっていうのがあって。

建築に対しても、そういう姿勢でやっていきたい。独立したら建築を設計する仕事って来るものだと思ってたんですけど、自分で取りに行くか、周りから来るぐらいの年齢にならないと、そうそう来ないらしく、20代のうちに建築やりたかったんですけど、20代終わっちゃうんですよね。待ってても多分あと5年ぐらい来なさそうなので、今自邸をやりたいなと強く思っていて。自分はすごい建築に対して、すごいこう遠回りをしてるんですけど、いろんなことを腑に落としながら、建築をつくってみたい。

いまのままだと、建築をやってない人間が建築のことを喋っている、もしくは、建築をやれない人間が家具をやっているような感じになるのが、今はすごくフラストレーションがあって。自分が何者なのかを全然うまくいまだに言えない。だから、人に紹介される時にすごい相手を困らせてしまう。今回も難しかったと思うんですけど、建築家なのか、 家具制作者なのかなんなんだ、みたいな。そういうのもあって、今は強く建築をやりたいと思っています。

学生|

建築をこれからしていこうとおっしゃっていたんですけど、「それのそれらしさ」を追求して、このような作品を作っておられたと思うんですけど、建築に転換した時に、 それらしさについて、どういう風に進めていくというか、どういうスタンスでされていきたいと思われていますか?

甲斐|

ひとつはえっと、問い直しみたいなことで、今自分が建築をやりたいと言って、自邸をやるって言ってるのは、 リテラルに家をつくろうとしていて。ずっとやりたかったことでもあるんですけど、その建築をつくるっていうことにまつわる全てをちゃんと知りたい。基礎から設備とかまで構造も含めて、本当にどうなっているのかを知りたいっていうのがあって、それをやっていくっていうのがひとつ。

構法であったり、材料であったりっていうことに対して、建築をやるにしても、この家具とかアートワークとかでものを扱う時と同じ解像度で見ていきたい。設計に関しては、人のふるまい以外を根拠にして、かたちを作るっていうところは、引き続きやっていきたいと思ってます。まだ全然こううまいことロジックになってない気もしますけど。その先どうなるかわわかんないんですけど、これはやらなければならないなと思っているので、ますはやりたいと思ってます。

垣内|

樹種の話もそうやけど、初めは簡単な木の温もりとか、本当なのか?っていうところから始まった訳じゃない。甲斐さんはそこでの分析とか、実験含めて、そのイメージに対して「そうじゃないでしょ」っていうのを形で表してきたと思うんだけど、その慣習的なものが、「ほんまやったな」って思ったこととか、「噂通りやった」みたいなことってあるん?

甲斐|

ありますね。ものの良し悪しとかもそうですけど、結構あります。

垣内|

自邸やった時に、めっちゃ普通の家やったらめっちゃおもろいやんな。

甲斐|

もしそうだとしたら、人生がすごく生きやすいなって思います。そうなってほしいなと思います。そしたら、こう斜に構える必要がなくなるので。

垣内|

それって、その建築がそのデザイン云々なしに生きていくため、自分の生きやすさの手段として、そういった分析とか、ジグ作りの設計という軸が発表できたら、めちゃくちゃおもろいやん。

そのいわゆる通常のオーセンティックな建築家のメディアに対する発表とかじゃなくて、甲斐さんの建築らしい建築のジグが発表できた、それはすごい楽しい。

レシプロカルの、平面と言いたいっていうあの図形を発見した時の快感を忘れられへんのやんね。次Tシャツにしたら?そういう近いところで、建築を説明する時に、今までにない方法で人に伝えられる。知識とか専門技術がなくても、 建築を楽しめるよっていう軸が社会的に示せたら、めちゃくちゃ面白い

川井|※川井 操〈滋賀県立大学 准教授〉

今日はありがとうございました。一言で言うと、やっぱ森の感性というか、 最初の冒頭で言われてた自分の生い立ちの部分で、森に非常に近いところで暮らしてされていたっていうのも、なんかその感性を ずっと持ち続けておられるな、なんて思いました。

今日、ポスターにあの椅子を持ってきたっていうのも、あれがやっぱり1番森っぽいと見えたんですよ。その時にやっぱり都市最初のモヤモヤっていうのが、ひねくれているって、自分のことおっしゃってましたけど、それって都市に対するフラストレーションみたいなのが、自分の感性とぶつかってるのかなと思っていて。逆にそれがなんかモヤモヤがなくなってきたっておっしゃってた時に、かなり自分自身が都市に順応していってると思うんですよ。

そこが僕はすごいその感覚のあり方が気になっていて、 僕は最近すごい里山に入ったりとか、木を切ったりとかする活動してるんですけど、逆にそっち側に入ることで、すごい感覚が鋭敏になってるようなのを最近感じるんですけど。甲斐さん自身がもう1回その森に向かいたいとか、まあ今自邸を作りたいっておっしゃってましたけど、なんかもう1回都市から離れて、そっち側の世界からの感性を もう1回蓄える時期っていうのは、なんか考えられたりするのでしょうか。

甲斐|

まさしく同じようなことを考えていて、都市に順応している感じをすごく感じるんですよね。ちょっと前までは、都市はフラストレーションが溜まるものとしての対象だったんですけど、そこにこう居心地の良さを感じ始めていて。一昔前は田舎に戻ることとか、都市以外の拠点を持つことはフラストレーションをなくす手段として見てたから、なんとなく距離を置いていました。都市にいてフラストレーションを感じることこそが制作において重要であると思ってたんですけど、最近は順応してしまったが故に、なんかそこの差分があんまりなくなってきたから、別にもういいなと思って。

都市以外で、それがその鋭敏になるようなことが、おっしゃられたようにあるのであれば、それはなんかすごい希望があるなと思いました。今自邸の土地を探してるんですけど、描いている風景があって、それは完全に田舎なんですよ。田舎というか、山林。これを今話すことに意味があるかわかんないんですけど、木が隣接しているところに、立っている立ち木を主構造にして、平面のスラブが載っている状態みたいなのを作ろうとしていて。

だから、完全に都市的な生活ではない。昔木の上で過ごしてたような、そういう状態っていうのを、今は強く持ちたいと思っていますね。今もちょっと都市を離れることに対するリングを降りた感をなんとなく感じてしまうところもあって嫌ですけど、この6年ぐらいがあんまり自分でうまくいったと思ってないところが多いので、 何か変えないとなと思っているんですよね。

川井|

なんかひねくれてるっていうのは実際、結構素直な反応だなと思っていて、多分すごくフラストレーションというか、 都市っていうものに対する自分の体の反応みたいなものにものすごく鋭利に感じてられてた状態だったんだなと思っていて。だから天邪鬼とかひねくれているというよりも、もっと素直な自分自身の反応として聞いてましたね。その感覚が甲斐さんの場合、もっと強まっていった方が面白いなと思っています。こういうプロジェクトも素晴らしいなと思うんですけど。すみません勝手に。

甲斐|

大変ありがたいです。

辻|※ 辻 槙一郎〈京都府立大学 講師〉

中山さんと仕事してる時は、どういう風なやりとりをしているんでしょうか?中山さんのイメージを書いてもらって、話しながら一緒にするっていうやり方をいつも取ってるのかな。

甲斐|

中山さんは自分が学部2年生の時に大学に着任されて、それ以来ずっと見ていただいて、気にかけていただいています。ありがたいですね。中山さんとは、コラボレーションというよりは、結構勝手にドライブしていくようなやり方をしていて、 中山さんがスケッチを描いて、どう考えているか、 どういうところを目指しているかっていう話はするけど、その後は完全に(自分に)全振りっていう仕方をしていて。

なので、納めるまで中山さんもどうなってるかわからないし、そこにはお任せっていう関係性でやっています。結構特殊ですね。最初のうちとか、初めて協働する人とかは、割と管理していく感じになると思うんですけど、中山さんの場合は、もう完全に丸投げっていう感じで。たまにちょっと外しているかもしれませんが(笑)

辻|

中山さん本人は作ったりするの?

甲斐|

中山さんは材料とか、作ることに対する解像度がめちゃくちゃ高いんですよ。自分で家具とか作れちゃう人ですね、本人は作らないようにしてるんだと思いますけど。自邸の家具とか、中山さん結構自分でやってるんですよ。トリマーで天板切って、自分で塗装してとか。自分で楽しんでやってる人なんですけど。だからこそ、どういうことが良い、どういうことが良くないと思っているか、みたいなところが結構共通理解としてあるので、事前にスケッチの段階で共有ができるから全振りみたいなやり方ができるっていうのはあるかもしれないですね。

コラボレーションする相手によって、そこの解像度って全くやっぱり違うので、それは協働相手によって自分が立ち位置を変えてるようなところがあるかもしれないですね。

森田|

学生時代、どう尖っていたんですか?全然想像できないです。

辻|

そんなすごい問題児だったってことはないですよ。でもなんか絶対周りと違うことをやろうという気持ちが1番に強いっていうのはみんな思ってた。学校の中では優秀で取り上げられているというよりかは、違うレールを必死に探してる印象はありましたね。

もがいてるように見える時も、楽しそうにしているときもあった。あまり大っぴらに見せるというよりは、話す人には話すという印象もありました。

甲斐|

友達が0の学生生活を送ってたので(笑)

学生|

色々作品見せていただいて、作り方を作るっていう話は、森田先生にも共通してて、勉強なったんですけど、作品ができる初めのきっかけというか、アイデアとしてきっかけっていうのはどういうところから生まれてるんでしょうか。建築って「周りのコンテクストからこういう形になりました」っていうのがあると思うんですけど、甲斐さんの作品の着想の部分っていうのはどういうところなんでしょうか

甲斐|

あんまり考えたことないですけど、基本的に自分は、何かやりたい軸があって、与件がある時はそれと与件をすり合わせるっていうようなことが結構多いですね。それは自分のプロジェクトにせよ、クライアントワークにせよ。与件から考えるっていうことの方が少ないかなと思うんですけど、何から着想しているのかと言われると、 何から着想しているんだろう…。

でも些細なことですね、きっと。さっきもちょっと話してましたけど、椅子だったらたくさんの樹種使いたいとか、基本的にやりたいことベースで始めて、それを後から振り返って、どういうものだったかを考えるという風に制作はしています。その最初の動機は全部、たくさんの樹種を使いたいぐらいのちょっとしたもんですね。

垣内|

今ね、めっちゃ面白いなと思った。建築らしい建築とかそれのそれらしさみたいな話を聞いた時に、芸大のアートワークをもし「甲斐さんがやった」って言わんかったら、隈研吾がやったってみんな思うと思う。

1種のアイロニーなのかもわかんないけど、隈さんがこういうデザインをよくやってるってことは知られてる。それに対して、それにのっかりつつ、隈さんのやってる軸とは違うよっていうデザインの提示の仕方があったら、 これはちょっと面白いな。そういうことは考えた?

甲斐|

めちゃめちゃ考えていました。隈さんの建築に自分が自分の作品をつくるってなった時に、どう考えても隈さんを意識しないわけはないわけで。隈さんはご自分でもおっしゃってますけど、 表層としてのマテリアル、マテリアルの表層を扱うってことをされている。それに対して自分の興味は表層ではなく、深層にある。自分が手がけるファサードって建築の表層ですけど、それこそ隈さんっぽい、木組を扱って作品を作るけれども、この作品の完成は、今見えている意匠が全部グレーに褪色した後に残る、木材の深層の性質であるっていうこと。

自分が扱うのは表層ではなくて深層であるっていうことを、隈さんの建築の前でやりたかった。これは当然言いませんし、今日話したコンストラクションとか、治具の作り方とかっていうのも、作品にとってはどうでもいいことだと思ってるので、 そういう話はしないですけど、隈さんがやる建築、芸大に立つ隈さんがやる建築のファサードをやるってなった時に、それは第一に考えたことですね。

垣内|

いや、でも、メディアに載った時の周りの感動が面白い。

甲斐|

作品を鑑賞する人が作家の本当の意図を汲めるとも思ってないし、自分も人の作品の本質を汲めるとも思ってないし、汲まなくても良いと思ってるので。曲解でいいと思ってるので、それでいいと思ってるんですよね。これが表層として受け取られて良い。そういうものだと思うし、けど自分は深層を扱っていたいっていう。

垣内|

良い話が来たよね。

甲斐|

そうなんです。だからいつかこの話を隈さんとしたいなって思います。

垣内|

そう見えるのがいいよね。隈さんがやってる感じに。制作を、甲斐さんがやってるだけに見える。

森田|

林さんはいかがですか?

林|※ 林 誠〈森田一弥建築設計事務所〉

レシプロカルっていうものを、僕は三角形とか五角形くらいのものしか元々知らなくて、純粋なレシプロカル構造っていうと、重力と摩擦力で建っているっていう風な認識をしてました。それを立体構造で展開して、反り上がる壁みたいになるってなった時に、最初から1番苦労されている相欠きによって建っているという風に見えるんですけど、その辺りのディティールで、相欠きじゃないと建たないのか、あるいは摩擦力と水平方法の引っ張りだけでやっていくみたいなビジョンがあったのでしょうか。

甲斐|

相欠きである必要は原理的にはない、要は引っかけてるかどうかってことですかね?引っかけてる必要はないと思います。相欠きにしているのは、2本の角材があった時に、点でしか接することができないから、ここにボルトを入れられない。だからそこに平面を持たせるために相欠きにしているっていうような感じですね。なので、相欠きもすごく最小限なんですよ。

表面を少しさらうくらいの感じで成り立っています。構造的には、これは実際には分からないですけど、アンカーで壁面平面の荷重を支えていて、それを引っ張ることで、面外を抑えるっていうような作りになっているので、多分相欠きじゃなくても問題がない。丸棒でも問題がないと思います。

林|

多分建築だと1本抜いたら全部壊れちゃうみたいなこととか、危ないっていうこととかもあったりとか、色々あると思うんですけど、摩擦っていうものを扱って建たせるとかできたら面白いなと思って。

甲斐|

林さんって押さえてるところがめちゃめちゃ広いですね。そんな角度の質問が来ると思ってなかったので、びっくりしました。林さんは前回京都でレクチャーをやった時に来ていただいて、その後の懇親会の時にお話をさせていただいて、出てくる話が全部面白い。剥製の話とか。同世代にこんな人いるんだって思って衝撃を受けました。林さんと話して、突っ込まれたりしたことが前回のレクチャーの最大の収穫だったっていう話を服部さんとしてて、そしたら森田さんに呼ばれたので、前回京都に来てよかったなって思いました。

学生|

作り方を一般化したいっていうお話があって、でも今日のレクチャーで見せてもらったものってだいぶ複雑で、複雑なんだけど、作り方はちゃんとしていますよね。複雑なものって違う形で作った時の、そのもの自体に感じる印象はまた違うと思っていて、そういう複雑さへの思考ってどう考えられていますか?

甲斐|

複雑さの思考、良い問いですよね。複雑さへの思考というと、印象に残っているのが金田さんの「建築は複雑な現象をつくるべきだが、複雑な物をつくるべきではない」という言葉で、構造家の言葉だなと思ったんですけど。いかに簡単なことで複雑さを獲得するか、多様さを獲得するかみたいなところがたぶん根本にはあって、一見どういう人が見るかにもよると思いますけど、自分のこの作品の作り方は一般化すると簡単なんですよ。 論理は複雑でも誰でも作れるような状態になるっていうところに興味があって、治具がどういうジオメトリーでできているかとか、別にそんなのはどうでもよくて、そういう複雑さは不要で。

それが複雑な手続き抜きに再現できるっていうことが重要だなと思っています。今回お見せしたものは、自分が設計して、自分で作っているアートワークだから、ある程度制作側に高いハードルがあっても対応できています。けど、普段の仕事だと当然、自分ではない人がつくるっていう与件の時もある。そのリソースのために設計をするっていうのが一番面白いところですね。例えば、最近のやつだと、塗料を開発するっていうプロジェクトがあって、それは自分が作った塗料を、職人さんが建築に塗るんですけど、塗る人のパラメーターがあるんですよね。

はけ塗りのうまさとか、ローラー塗りのうまさとか、 塗る対象にも刷毛でいけるところとローラーじゃないといけないところとかっていうのを総合的に解いて、塗料をつくるみたいな。だから、そこの難易度は変数でいいんですよね。最終的にそれをつくったり、施工したりする人のリソースに合わせて設計をするっていうことが重要だなと思ってて。そうならないと、設計者のエゴとか無理とかを工務店とかに強いることになる。 その工務店側にその気量があれば、それを乗り越えた時に1番こう互いにとって、いいものができるっていうのは理解できるんですけど、とはいえ互いにもっと歩み寄った方がいいなと思っていて。

制作してると、 そういうしわ寄せをいっぱい食らうんですよね。特に若かったりすると。あと、単純に賃金が安いとか、危険であるとか。そういうのがすごく嫌で、そういう人たちをもっとチアアップしていきたい感じもあるんですよね。設計者側からも寄っていきたいし、施工者側、制作者側からも寄れるように、 その間をやりたいっていうのがあります。

自分の身の回りにもいろんな作家がいますけど、やっぱみんな大変なので、「なんでずっと大変なんだろう?」っていうのを思ってて、そこに何かこう楔を打ちたいみたいなのはありますね。答えになってるかわかんないですけど。

学生|

今のその答えていただいた質問にちょっと関連するかもしれないんですけど、そういう設計者と施工者の歩み寄りのために、多分、今、グラスホッパーを使って制作されていると思ったんですけど、グラスホッパーを使い始めた、その当初でもいいんですけど、 そういうソフトを使うっていうのは、そういう例えば手間を省いたりとか、 その業者の歩み合いのために使うっていうのが、使っている目的・理由になっているのでしょうか?それとももっと別のところに理由があって、使い始めたのかどうか聞きたいです。

甲斐|

目的があって、使い始めたって言えたらかっこいいなと思ったんですけど、ではなくて、大学で必修科目として、グラスホッパーがあって、それで使い始めたのが最初ですね。ベクターの授業が、自分の1個上の学年からライノとセラスグラスホッパーに変わったんですよね。だから自分はベクター使えなくて、図面も全部ライノで書くんですけど。

だから、多分自分が使ってるグラスホッパーの使い方って、そんなに一般的では多分なくて、割とこう治具を作るために使うとか、制作管理のために使ってるんですよね。そういう使い方をすると、 制作者をもっとこっち側に引き寄せられるなっていうのに、多分途中で気付いて、ちょうどあの什器の時あたりにそれに気付いて、そこからは割と自覚的にそういう風にしてますね。

複雑なカットができる人とできない人の違いって、やり方を知ってるかどうかだけなので、そこに技量の差があるわけじゃないから、そこは簡単に埋まるなと思っていて。図面として、カット図を出力するフォーマットまでつくってしまえば、誰でもつくれる。安全に誰でもつくれるっていうのは、什器あたりから考えるようになりました。

森田|

1番最初にあった、人のふるまいに頼らずに、どうやって形を作れるかみたいな話が印象的で、人のふるまいを避けるというか、信用しないっていうような、その原点みたいなのはどういうところからきてるんですか。

甲斐|

人にもののつくり方を説明するときに、人のふるまいを根拠にすることって、すごく容易だと思っていて、それはポリティカルコレクトネス的に正しいからだと思います。ただ、それってすごく嘘がつきやすい。

さっきと被りますけど、あることを考えてる時に、それをいかようにでも言えちゃうから、ポリティカルコレクトネス的に正しくない方法を根拠にしても良いじゃないかと思っていて。

今日レクチャーで飛ばしたんですけど、自分の中で、正しい論理で正しくものを作ることに対する諦めみたいなのを感じたことが学生時代にあって。それは学部3年生の時に、都市の設計の課題をやっていた時だったんですが、東京の虎の門っていう、再開発がもうすでにされている、され始めたぐらいの時に、そこを対象に都市を考える課題だったんです。東京ってすごいこう、最初に江戸ぐらいの時に割られていた敷地が細分化していったり、焼失してなくなったり、新しい軸線が引かれたりっていう、複雑なレイヤーが重なってできている都市なので、ここに引かれている軸線の正しさみたいなのって、もうないと思うんですよね。

重なりすぎてて、ある時に正しいってなっていたものと、その次に正しいってされていたものがずっとこう積み重なってできてくると、 もうそれを全体を通して言える正しさなんてもう存在しないんじゃないかみたいな諦めを感じてしまって。それでも今のこの時代にこれが正しいっていう論理で、ものをつくっていくことにすごい違和感があって。だから、この課題で街区を考える時に、人の動線がどうとか、都市軸がどうとかって考えない方法で考えたとしても、豊かな空間ってできうるんじゃないかみたいなこと考えてて。

メロンの皮から模様を引っ張ってきて、街区にしたりとか、最終的にはガラスを割って街区にしたんですけど、 関係ない秩序、その都市とか、人のふるまいとかと無関係な秩序を持ってきても、設計ってできるんじゃないかって思ったのが、これくらいの時で。それは正しいと信じていることを正しいっていうことに対する生きづらさをこの時に感じたからっていうのが、今もずっとありますね。人によっても、時代によっても正しさって変わるのに、それを武器に正しくあろうとすることの、息苦しさみたいなのをずっと感じてるんですよね。

学部3年生の時の都市設計の課題

森田|

よくわかりますね、僕も設計する時に人の言うことほど信用できないっていつも思ってます。今回これがい言っていっても1週間経ったら違うものがいいって自分が言ってることもあるし。

先ほど甲斐さんも言われたように、人間の感覚みたいな掴みどころがないものに頼らずに設計ってできないのかなって僕もよく考えるので、すごく共感するところが多いレクチャーでした。

今日は充実したレクチャーを、ありがとうございました。

当日の会場風景

文字起こし・校正:八十川天音・野瀬晃平
ポスターデザイン:富岡亮平