原風景|宮崎

甲斐|

ここからちょっと話がずれるんですけど、原風景の話をちょっとさせていただきたいんですが、 これは今東京で私が住んでるところですね。こんな感じの ところなんですけど、自分は生まれが宮崎県で、田舎なんですね、とても。航空写真で見るとこんな感じなんですよ。もう全く別世界みたいな。服部さん〈Schenk Hattori〉には、よくジャングルって言われるんですけど、みたいなところで、生まれ育ちました。もうほぼ山で、すぐ海みたいな感じです。

ここが自宅なんですけど、自宅の後ろにすぐ森があって、 そこを下っていくと小川があって、さらに下って森を下りるとあとはもう田んぼ、みたいなところで生まれ育って。遊ぶ場所とかが本当になかったので、よくこういうところで遊んでたんですよね。この時に木に登るとか、森にあるもので秘密基地をつくるとか、人がつくったものではないものに対して、場所を見つけたり、主体的にアプローチしたりするみたいな体験があって、というかそういう体験しかなかったのは、結構今に影響しているなと最近になって感じることが多いですね。

出身地

あともう1個。これは宮崎に行ったらぜひ行ってほしいところなんですけど、都井岬っていう岬があって、野生の馬がいるんですね。で、全く管理されてない。 全く管理されてないところに野生の馬がいて、車で走ってると、野生の馬が普通に歩いている。その環境がすごく好きです。馬が管理されてるところに人が行って近づいたりすると、馬に蹴られたりする。馬に蹴られたりすると、 いろんな責任問題とかが起きるじゃないですか。

けど、ここの管理は誰もしていないので、近づくのも自由だし、蹴られても誰も責任を取らない、 自己責任みたいな。それってすごい稀有で自然なことだなと思っていて。制度とかじゃなく、人と環境とか、人と動物とか、人と建築とかがこう主体的に関係性を作れる状態っていうのはとてもいいなって、この場所に行くたびに、それを思い出します。こんなに景色いいんですけど、携帯の電波が入らないんですよ。全く観光地化されてなくて、そういうところもとてもいいなと思います。失われてほしくないですね。

今のアトリエの場所

大学生活

甲斐|

ここから学生生活に入っていくんですけど、自分は絵を描いて入学する大学に入ったので、高校3年の夏から絵を書き始めて大学に行きました。大学に入ると、1年生の時からものを作る課題がとても多かったです。

これは吉村順三さんの「軽井沢の山荘」の軸組み模型を作るっていう、1年生のときの課題です。建築のことを何も知らないけど、 軸組模型を作らされ…作らせていただくんですね。図面の見方も何も知らないから、めっちゃ大変なんですよね。平面、立面、断面の青焼き図面しかない状態から、その図面を読んで、軸組み模型を作るっていう。

「軽井沢の山荘」の軸組み模型

その時にもきっとひねくれてたんだと思うんですけど、吉村さんの手描きの青焼き図面に樹種が書いてあったんですね。柱はスギ、土台はクリ、梁はマツ、みたいに図面に樹種が書いてあって、それをなんか面白いなと思って、その時は全然意味も分からずなんですけど、軸組み模型を樹種を変えてつくってみようって思って作りました。同級生はヒノキの角材で全部作るんですけど、なんかそれとはちょっと違うことをしたくて、そういうことをしていたんだと思います。

樹種を変えてつくった軸組み模型

その課題が終わると、木材を使った椅子を一脚設計して制作する、椅子課題が始まりました。その年は「サブカルチェア」という課題で、サブカルチャーとチェアを掛け合わせて、椅子を制作しなさいというものでした。

何をメインカルチャーとして、何をサブカルチャーとするかっていうのが、問われているなと思っていて。小学生の時によくやってましたけど、4本脚の椅子ってこうやって(後ろの2本脚で)座れて、ちょっと楽しいじゃないですか。同じように、脚の高さが違くなっちゃってガタガタしてる椅子って、ちょっと楽しい。けど、ガタガタしてる椅子は、ガタガタしないように直されてしまう。ちゃんとしてる椅子がメインストリームだとしたら、そのカウンターとしてのガタガタする椅子があってもいいんじゃないかと考えて、脚がいっぱい生えてるスツールを設計しました。

「Funny Chair」
座面のディテール

自分で話してて嫌になるんですけど、全課題になんかこうひねくれポイントがあって…。この課題はタモっていう木、英語で言うとアッシュですけど、タモで作るっていう課題なんですね。自分もタモを新木場に買いに行って、制作を始めたんですけれども、 脚をいっぱい生やしたときに、脚の重心が外側にあった方がガタガタするであろうっていう仮説を立てて。であれば、木って比重の幅が大きいので、1番軽いやつだと0.14ぐらいから、1番重いやつだと、1.35ぐらいまでだから、10倍ぐらい違うんですね。

この比重の違いを使ってガタガタさせられないか、みたいなことを考えました。比重が大きい材料を外側に配置して、比重の小さい材料を真ん中に配置することで、重心が常に外側にあるので、ガタガタすると。そして樹種を変えると、脚が設地した時のガタガタする音が変わるんですね。みたいなことを、デザインできないかという風に考えました。で、そうなってくると、買ったタモが使えなくなるんですね、今の話と反するので。じゃあ、せめて座面にタモを使おうと思って、その1/3模型は座面がタモになっているんですけど、タモだと、 木目がすごくうるさいんですね。

なので、座面をタモにしてしまうと、このほぞで出てくる断面が映えない。この座面は白いキャンバスみたいな材料でやりたかったので、最終的にはメープルを座面に使って、脚の断面を意匠的に現して、くさびも脚に使っている材料と同系統の色かつ、より硬いものを使ってつくる、という風にしました。なので、タモは結局1本も使わなかったのですが、そのタモは今も大事に持っています。 スツールの座面を取るタモって、めっちゃこう幅が広いんですよ。450ミリ幅とかないといけないので、テーブルの天板になるようないい材料で。

丸型の木取りのけがきまでやってやめたんですけど、やめてよかったなって思います。この時は木材っていうマテリアルに対して色っていう意匠的な部分と、比重っていう性質を扱って作品をつくっていました。なんとなくこの時にマテリアリティを扱うみたいなところへの興味が、さっきの軸組模型と併せて面白いなとちょっと思っていて、大学生活は割とそこを考えるような4年間でした。

垣内|※垣内 光司〈京都府立大学 非常勤講師 / 八百光設計部

あの足はなんで丸なん?今話聞いてて面白いなと思ってて。角材やと設置面が4点あるという言い方をしていたんやけど、今この足の足元は(どうして丸なのか)

甲斐|

あ、それはとてもとても痛いツッコミで、平(たいら)なんですよ。椅子の講評の時にヨコミゾ先生に、これは足の先が丸い方がいいねって言われて。その時にすごいその通りだなって思ったんですけど、要はこれだと、点で接しないんですよ。微妙に辺で接しちゃうんですけど、この時は意匠で決めちゃってました。丸でやると、なんか気持ち悪くて。

垣内|

別に丸じゃなくて平でもいいと思う。その理由として、例えば、多分デザイン的に足が丸の方が多分綺麗やと思うんやけど、四角でやった場合の、甲斐さんが言ってた、 「実際に体感するガタガタ」と設置面同じあの足でも、四面設置面がある、そこでのガタガタもある。それが複数重なると、多分もっと広いガタガタがあるから、丸にしてもいいんだけど、角の方がそういう言い方はわかりやすいじゃない。

丸やと実際はいくつか設置面が出てくるけど、そのガタガタって言った時の響きと、丸っていうものがなかなか一致しにくいので、四角にしたら、甲斐さんでいうガタガタっていうコンセプトが非常にわかりやすくなる。ヨコミゾさんに、そう(=丸の方が良いと)言われた時に、そういう話の切り返しができたら、点で引っ付けなくていいなという風な話ができる可能性あるかな。

甲斐|

ありがとうございます。今思い出しましたけど、ヨコミゾさんは、この課題の担当教員ではなくて、 その講評会の時にだけ、ちょっと座ってちょっと言うみたいな感じ。一言目でそれを言われたので、「あ、 教員ってすごいんだな」って思ったのを思い出しました。一瞬でそんなところを見て、ぐうの音も出ないようなことを言われるんだなと思って、ドキッとしたのを思い出しました。

あと、もう1個思い出したんですけど、この時の足のこの形が3種類あるんですけど、 下膨らみのやつと、先細りのやつと、ストレートのやつ。これ、ウェグナーのダイニングチェアに使われている。足の形を3種類引っ張ってきて、つくったのを思い出しました。

垣内|

あ、あのノリ突っ込みっていうか、メイン(ストリーム)に対しての?

甲斐|

そうなんです。その時に、その名作椅子って言われてるものの、名作性が全然わからなくってですね、まさしくメインストリームに対するフラストレーションがあって。ちなみにこの椅子課題は1年生の時なんですけど、2年生になってもその名作椅子の名作椅子性がわかりませんでした。2年生の春ごろに、大学院の研究室にウェグナーのYチェアがあることを知って、先生にお願いして借りてきて、実測して、製図してモデリングして、自分で1脚Yチェアをつくるっていうのをやってました。

いまだにYチェアの名作性は難しいなと思いますけど、いくつかやっぱりなるほどって、実測をしてつくる工程の中で、主にファブリケーションの点で思うことはありました。例えば3次元的に傾いて見えていた後脚が実は、3次元曲げじゃなくて、平面の板で取った材をこう傾けてこう傾けてつくられていて、しかもここが曲線なので、3次元的に傾いて見えているだけっていうような。そういうところまでできているところが、名作たる所以の1つなんだろうなみたいなのは思いました。

でも、いまだにそれはなんかずっと難しくて、良い建築が良い建築たる所以とか、良いって言われてるものの良さ。それに、なんかずっとモヤモヤしていて。良いって言われる建築と、そこらにある建築で感じる良さの差異があんまりわからないというか、 「何を以てそう自分は言い切れるんだろう」みたいなことに、ずっとモヤモヤしているところが今もあります。今もだから、全然何が良いかわかんないんですよね、何やってても。

垣内|

多分、おそらくその課題自体がちょっと意地悪で、もうアイロニーを誘発する課題なんですよ、やっぱり。そう思うとノリ突っ込みで、 結局アイロニーを出しなさいという風に、誘い水があるんだけど、多分それを乗り越えると、多分ポップになるから。

甲斐さんが、「デザインで真っ直ぐにしました」っていうのは、多分正しい。それは、あなたのオリジナリティーやから、それはそれでよかったんちゃう?

甲斐|

なんか、学生時代に考えてたモヤモヤって、やっぱりすごい根源的なことが自分にとっては多くって、 だから、レクチャーとかでこうやって話しながら思い出すと、あー、今もずっとモヤモヤしてんだなとか思って、とても良いですね。逆に最近ってあんまりモヤモヤしないんですよね。それがすごく良くないなと思うんですけど。

垣内|

大人になったってことじゃないん?

甲斐|

すごいそれが嫌で、なんか学生時代は、「ダメなものをダメと言うために制作する」ってずっと言ってて。 つくってない人は、作品を批評できないから。あるものがダメだと思ったら、それよりダメじゃないものをつくって、それをダメと言いたいと思ってやってたんですけど、大人になると、なんかみんなすごいなって思ってきて。

垣内|

そのダメが可愛く見えてくる。

甲斐|

そうなんです。みんなすごいなと思ってダメって思わなくなってくるんですよ。そうなると制作に向き合えなくなるんですよ。 それがこの6年ぐらいの悩みで、クライアントワークはできるけど、学生時代につくってたようなものが全くつくれなくなったっていう悩みがありました。悩みを吐露する場ではないんですけど…ずっとなんか悩んでるんですよね。